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The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛を観て

昨日映画を観ました。 これは、ビルマのアウンサンスーチー本人と、彼女を支えた家族の知られざる物語。 スーチーの事は皆さんご存知だと思います。自宅軟禁を合計15年も強いられ、家族と引き離され、夫の死に目に会えずとも、その志を曲げず、ビルマの民主化の為に、ビルマの為に人生を捧げている人です。彼女はアジア人女性初めてのノーベル平和賞を受賞した人でもあります。こういった事実を踏まえつつ、映画では政治家としてのスーチーでだけではなく、妻や母としての彼女も伝えています。 1988年にスーチーは母の看護のためにビルマへ帰りました。そこで見た物は学生による民主主義運動が軍事政権によって武力で制圧されているものでした。夫のマイケルも二人の息子とともにビルマへ来てその現状を目の当たりにします。彼女の滞在期間中民主主義運動家達が彼女を訪れ選挙への出馬を願い出るのです。彼女は迷った末に民衆の前で出馬を宣言しますが、そこからは軍事政権との長い長い戦いが始まるということと、家族とイギリスで一緒に暮らし続ける事はできないという事を意味していました。 スーチーは、どこへ行っても熱狂的に歓迎され、1990年の総選挙では、485議席中、392議席獲得という圧倒的な勝利でした。しかし、軍事政権はこの選挙結果を無効と見なし、支持者を投獄。処刑や強制労働をさせるなどしてスーチーの活動を制圧。 そこで夫のマイケルが動きだします。彼はノーベル賞委員会にスーチーが非暴力でビルマの民主化運動を行っているということを知らせ、彼女の受賞を促したんです。彼が働きかたからこそ受賞できたんです。そのお陰で世界はビルマの政情やスーチーの非暴力による民主化運動に感銘をうけ、ビルマやスーチーはさらに注目されるようになったんです。 しかし彼女が自由になる事はなく、軟禁生活は1995年まで続きました。彼女が軟禁されていないときは、イギリス大使館で家族と電話連絡ができましたが、接続は思わしくなく、時間はわずかに限られていました。軟禁状態の時は文通のみの連絡だったのです。(軟禁は1995年まで続き、00~02、03〜10と再び軟禁されました) 夫マイケルは、1988年にスーチーがビルマに来た時から、1999年に前立腺癌で亡くなる前に、5度スーチーに会っています。映画によれば、スーチーは彼に言います。離婚してもいい

ボスニアへ再び③

翌日は、歩いてポトチャリのメモリアルセンターへ向かいました。 猛暑でしたが、すごい人だかり。普段は人気のないスレブレニッツァですが、この日はボスニアまたは、世界から人が集まるそうです。ムスリムのお祈りの歌が響き、道路にはチェバプチチやジュース、コーヒーが売られています。 途中でなんと私の名前を呼ぶ声が聞こえました。 ふとみると、私の仲間のうちのひとりではありませんか!うわあああああ! もう見つけた瞬間人をかき分けてハグしたよー。それはまるで映画のワンシーン。 元気?学校はどう?今年の調子はどう?とかたわいない話をする私たち。去年は私、ボスニア語全然わからなかったけど、なんとかできてすごく嬉しかった。 みんな私の事を覚えてくれて、昨日あったように普通に、でも暖かく再会できて、心にしみました。野原でコーヒーを飲んだ後、私たちは博物館に向かいました。 中に入ると、ただっぴろいコンクリートの部屋。 壁には当時非難していた人々の写真や、発掘作業の様子、親をなくして彷徨う子供の写真などが展示してありました。更に奥に進むと、光もあたらない暗い場所が広がります。携帯電話の灯りをつけて進みます。すると血痕と思えるようなもの、狙いを定めるために描かれた的のようなものが壁に描かれており、生々しい跡が残っておりました。ただただ重くなりましたね。 言葉もなく、そのまま私は一旦友達に別れを告げて宿へ荷物を取りに向かいまして、ファミリーに別れを告げてサラエボへ向かいました。 次はサラエボ偏です。

ボスニアへ再び②

簡単な自己紹介をして、部屋へ案内された私はいささか緊張しておりました。 どうやら、初めて本物の日本人を見たようで、ホストファミリーの人もなんだかそわそわ。 でも、テラスに案内してくれてコーヒーと自家製のジュースをごちそうになりました。 1時間くらい話した後、私は歩いてポトチャリのメモリアルセンターに行きました。 猛暑だったので、扱ったけど、途中ピースマーチに参加している人を見て、一気に興奮し早歩きで向かいました。しかし、本当に暑い。照りつける太陽の日差しの強さと言ったら、もし日焼け止めを塗らなかったら、絶対やけどしちゃうよーと思う程です。 30分くらいかな?歩いてメモリアルセンターに到着。すでに人ごみで一杯です。去年の今頃はまだ森の中を歩いていたので、この光景を見るのは初めて。たくさんのバス、タクシー、車が道に駐車され、たくさんの警察がうろうろ。そして今年埋葬される遺体をおさめるお墓が建てられていました。このお墓は緑色をしているので、どれが新しいお墓なのか一目瞭然です。 早速博物館の方へ向かいました。たくさんの人が日陰で休んでいます。博物館はこの日閉鎖されていたのですが、向井側にある大きな部屋にたくさん人が入っている様子。私もその波にのって向かいました。なんとそこには、緑の棺が並べられていました。そうです。今年埋葬される遺体がならんでいたのです。今年は520体が埋葬されます。死者を特定するのにDNA鑑定などをやるので、時間がかかるんですね。棺には、生年月日、名前があり、誰がいつ死んだのかわかります。ただ広い部屋に均一に並べられている棺をみると何とも言えない重い雰囲気。家族が棺と対面して、涙する光景は何とも辛いです。17年後にやっとですからね。そこに群がるフォトグラファーが一斉にシャッターを押している光景を見ると・・・。おそらく来年も何百体の遺体の身元が判明し、埋葬される事でしょう。 そこを離れて、周りをブラブラ。日本人が手ぶらで歩いている様子をまじまじとみるボスニア人の視線に耐えながら(笑)かつてテントを建てて泊まった場所に行きました。まだ友人はいない様子。時が経つのは早いなと重い、そこを後にしました。 また歩いて戻る中、途中車が私の横にとまったのです。こわいよーと思ったら、助手席に座っていた少年が私に席を譲ったではありませんか!かれが後部

ボスニアへ再び。

本当に、本当にお久しぶりです。 久しぶりに書くブログは、先日訪れたボスニアです! 去年の今頃私は初めてボスニアに行きましたが、そのときは不安で不安で仕方がありませんでしたが、今回はただ楽しさだけ。一度行くと、旅支度もさささっとできるものなのですね。 7月9日から12日まで滞在しました。目的地はスレブレニッツァとサラエボです。 去年はmarš miraというイベントに参加しましたが、今回は去年見る事ができなかったミュージアムを見る事と、友達達に会う事を目的に行きました。計画では、スレブレニッツァは日帰りの予定で、残りはサラエボ、そしてモスタルへいくはずでした・・・。 しかし、計画通りには何事もいかないものでして。。今話します(笑) リュブリャナを7月9日の夜7時15分のバスで出発。片道45€の切符で行きました。 国境を2回超えてサラエボに着いたのは朝の4時55分。スレブレニッツァ行きのバスは1日一回、朝7時10分のバスだけ。帰りのバスも夕方4時半の一本だけなので、逃すわけにはいかずすぐに切符を買って、待ちました。片道20マルク。つまりだいたい10ユーロです。 しかし、待っても待ってもバスがこないんですね。翌日はスレブレニッツァで戦死者を弔うセレモニーがあるので、一般人からフォトグラファーの人まで長い列を作って待ってたのに、遅れたやって来たのは、違う行き先のバス。 ボスニア人のおばちゃんがバスについて聞くと、「もういちゃったよ」と運転手。 「そんなことない!」とか議論が始まって、数分後に違うバス停にスレブレニッツァ行きのバスが到着。安心したけど、道路の渋滞でなかなかスレブレニッツァにつかないのです!なんと6時間もかけてスレブレニッツァに13:30ころ到着。 私も馬鹿だったのですが、その駅から、ポトチャリというメモリアルセンターは6キロもあるんですね。何も食べてなかったし、猛暑のなか重い荷物を引きずって行くのは嫌だ!ということで急遽泊まることにしたのですが、宿がない(笑) 途中でみた看板にsobe(ボスニア語で部屋)というのをみたので、そこを頼って部屋をたのむも、今は満杯で部屋がないとの話。しかし、宿主が知り合いに頼んでくれて、そこに泊まらせてもらう事に!計画しないでもなんとかなるものですね〜。 宿主も彼の知り合いも英語が話せたので、

A Short Trip to Opatija and Rijeka!!

Hi all! Long time no write an article in English. Anyway, I went to Opatija and Rijeka on 28 to 29 March with my mom. My mom wanted to go abroad from Ljubljana by train. but she thought we could go to abroad so easily and fast because of Slovenia is surrounded by Italy, Austria, Croatia, and Hungary. Actually it is a misunderstanding ;) If you go abroad by airplane, it is easy and fast, but if you want to go there by train, you have to know that it will take long time, and there are few trains or buses per day. Somehow I re-thought for her, because I do not know when she could visit me. Then my friend told me that Opatija is the best choice for us. The first, Opatija is close to Ljubljana and we can go there by train for 2 hours! Opatija is a popular resort for both winter and summer. Geographically Opatija is located on the Istrian Peninsula so we can eat delicious sea food. My mom dislike meat, so Opatija is the best place for us!! We can go to Opatija directly by Trai

小旅行クロアチア オパティヤとリエカ (3)

オパティヤに着きました!私たちが泊まったホテルは、Hotel Bristlでした。 一泊二人で96€でした!部屋はこんな感じ。 シャンプーも着いて、バスローブもありです。ただし、日本と違って、リンス、歯ブラシと歯磨き粉はついてません!だから洗面用具は念のため持参する事をお勧めします。ホテルの人にお勧めのお店を聞いて、地図をみながらレストランへ行きました。 女は地図を読むのが苦手と言いますが、私はそのほぼ典型的な例です。そして見事に反対方向へいってしまい、母も飽きれる始末。とほほ。でも結局到着しました。入る前に二人でメニューを見て、予算的にも大丈夫という事で入りました。 Yacht Clubといいます! (http://www.yacht-club-opatija.com/) 英語ですが、ここでメニュー、位置など必要情報が見れます! 観光地にしては安い、、、、と思います。 いやー満腹であります。おいしかった。お値段約250クナです。つまり、33€程です。でも飲み物、サラダ、メイン、でただでパンもつくんだから、十分じゃないの?お母さんったら、あさりに毛が生えてるーなんていいながら食べてました(笑) どうでもいいことなんですけど、私たちが到着したとき、お客さんがいなかったんです。 で、従業員の皆さんがテーブルに座ってービール飲んでたり、食事してるんですよ。いいなー緩い雰囲気でと思って。そしてウェイターの皆さんはすごく陽気で面白いし。楽しいひと時でした。 翌朝は、またぶらぶら散歩しました。 街にあるとある教会です。クロアチアはカトリックです。国的にとても宗教的なところです。次回イースターについても詳しく書く予定なので、そのときに詳しく説明できたらと思います。 ホテルの近くの街の雰囲気。ティトー通りといわれる通りです。 海に面したバーで飲みました! もちろんビールです!うまい! 12時にホテルをチャックアウトをして電車でリュブリャナに帰りました。 また一悶着会ったのですが、フロントの人にタクシーを頼むと、15分でつくとの返事。 しかしそれはぎりぎりの時間でした。馬鹿な私は大丈夫ですとかいってしまい、私たちはなんと17分待ってました。

小旅行クロアチア オパティヤとリエカ (2)

朝にコーヒーを飲んだ後は、リエカという街に行ってきました!!リエカはクロアチアで1番大きな港町。バス代金は一人15クナ。2€ほどでした。 オパティヤもリエカも坂道が多いという印象を受けました。私の街塩竈も港町ですが、坂が多いのです。これはある地理的特徴なのでしょうか。 これがリエカの街の中心です!奥にある黄色い時計台がみえるでしょうか。これが目印となってくれたおかげで私たちは色々探検できました。 実は色々買い物をしたかったのですが、このリエカで目につくのが宝石のお店と、下着の店。なぜかわらかないのですが、よく目にしました。二人とも宝石また下着なんて興味ないので、少し残念。 お昼を食べた後、リエカのTrsat Castleに行きました! 階段を上りに上ってたどり着きました。その頂上でみるリエカの街は絶景です! 13世紀にたてられたこの城(要塞)は17世紀に ヴェネツィアとオスマン帝国によって崩壊の危機に直面しました。1750年の地震でさらに崩壊がすすんだそうです。リュブリャナにも、有名なブレッド湖にも城があります。高いところにたてられているという事は敵の動きを逐一把握できるようになってるわけなんですね〜。しかも建築素材は石。昔の人の労力ってすごい。 ここは城の中にあるカフェ。クロアチアもスロベニアもカフェが多いです。みんな座ってのんびりしてます。ただ、このカフェは夏の観光シーズンのみ開いているそうです。景色もいいし、たくさん歩いて疲れるから休憩するにはもってこいですね〜。 城をおりた後は、ぶらぶら散歩しました。 この船も塩竈に似ています。おばあちゃんが住む松島にもそっくり!それにしても潮のにおいがぷんぷんしました。 街の中心にある本屋です。クロアチアでも村上春樹など日本の作家の小説が翻訳や仏教などのアジアの文化について紹介しているコーナーがありました。でもこの本屋さんで広い位置を占めていたのは、ハウツー本だったように思います。値段はだいたい日本と同じくらいです。一冊2000円とか。でも平均収入が日本に比べて低いクロアチアで本の値段が日本と同じという事は、おそらく日本の方が本が安いということですね。 帰りもバス。しかし帰りのバス停は行きとは

小旅行クロアチア オパティヤとリエカ (1)

3月最後の週に、母がスロベニアに私を訪ねにきました。 信じられないくらいあっというまに時間が過ぎたけど、やはり人間過ごす長さもさることながら、過ごす時間の濃さそして大事さをわかっているなら、充実したひと時を分かち合う事ができるものだと実感しました。 5日間しか時間のない中で、どうしても母が実現したかったのが、電車に乗ってスロベニアではない他の国へ行く事。最初はフィレンツェがいいとかどーのこーの。皆さん誤解しているのが、スロベニアがイタリアや他の諸国と隣接している国だからといって簡単に他国へ移動できると思っているところです! 飛行機で移動するならまだしも、電車となると話は違います。日本と違って速度も違うし、皆さんの想像している大きな街や観光地へいくとなると、時間がかかってしょうがないのです。しかも、本数が少ない。例えばフィレンツェの場合、リュブリャナからは8時間バスでかかります。そして1日に2本朝と夜しかないのです。ハンガリーやセルビアへ電車で行く場合も1日に運行する列車は2本。ベオグラードへいく場合は、10時間はリュブリャナからかかります。 しかしいつになるかわからない母の訪問。どうにかならないかと思ったとき、クロアチアが浮上しました。何回も訪れていますが、海沿いの街というのは初めて。マリア・テレジアも愛したオパティヤとすぐ隣の街のリエカに行き先を定めました。 オパティヤはリュブリャナから電車で直行でいけます。値段は往復23ユーロほど。 だいたい2時間ちょっとでつきます。駅に着いて、海沿いへ徒歩で行くのは絶対迷うので、必ずタクシーを使った方がいいと思います。値段は40クナ。5ユーロしませんね。 これは乙女の像と言われる場所です。広がる空と海。同じ青さで境目がわからないほど澄み切った景色は絶景です。潮の香りがして、わが故郷塩竈を思い出しました。 これは乙女の像の近くにある中庭の風景。なんかアジアの雰囲気がありますね!色々な花が庭に咲いていて、すごくかわいかった。オパティヤはリゾート地。のんびり、ゆっくりすごすのが一番いい過ごし方といえるでしょう! 散歩した後はカフェでコーヒーを飲みました。朝6:30の電車できたので、すこし寝ぼけてしまった私たち。勝手に雰囲気のよさそうなところにいきました。 H

読書

先週の木曜日から土曜日にかけて読書しました。 James Redfieldの聖なる予言、第十の予言、第十一の予言~シャンバラの秘密~の3冊です。 これらの本は、実は世界的ベストセラーとなっている本で、1993年に出版されております。 題名を聞くと、ちょっととっつきにくいと思う人もいるかと思いますが、すごくいい本だったんです。 これは小説で、内容は人間の心の持ちようについて話している本で、ないように引き込まれて一気に読み終えました。 自分がポジティブなエネルギーを常に蓄えておくことで、それは自分、人間関係、最終的には世界をも変えていくということを壮大に話しているのです。わかります。こんなこと信じないぞとかという意見。でもそんな人ほど、ぜひ、聖なる予言を読んでください。文庫で大体400ページありますけど、すぐ終わりますから。 家族関係、自分の使命、人間関係、自分の成長のステップ、恋愛について、子供との接し方について、人生で疑問に思っていることを、スピリチュアルの視点から次々と明らかにしてくれる本なんです。しかもアーシロコーシロといった形ではなくて、小説。主人公も同じように悩んで、疑って、失敗してこの予言の意味に徐々に気づいていくので、絶対わかりやすいと思います! だから是非よんでみてください。 久しぶりに日本語で小説読んだけど、これほど簡単に読めるとは(笑) 色々な表現も思い出したし、自分の母国語ってやっぱり一番理解できるもんですね。 やっと勉強に集中できるぞー!!!(笑)3月には色々なイベントがあるから、集中してとりくまねば! は覚醒したのだと思う。 そして世界が神秘的で自分自身を知り正しい道を進んでさえすれば 必要なものはすべて与えてくれる場所だとわかっていた。 進化の流れに乗るためには今直面している人生の問題をしっかり心 に留めておくことで、 また夢や直感や周りの輝き方や目に飛び込んでくる様子によって方 向を見極める。エネルギーをみたし、 自分の状況や問題に自分を集中させる。 すると直感という形でどこへ行けばよいか何をすればいいか導きを 受け取ることができる。次に偶然の一致が次々と起きて、 私たちをその方向へと動かしていく。

音楽の力

最近、やばいくらい家でもそとでも歌っている私です。 日本の音楽はもちろんですけど、クロアチアとセルビアとアメリカの音楽に目覚めたのです!今日はその選りすぐりの曲をご紹介。 You and Meです。以前映画の回でも紹介しましたが、私のipodでの再生回数300をこえました。良い歌詞なんですよシンプルでね。なんだか英語の力ってすごいなって思います。Penny and the Quarters というグループが作りました。この楽曲はデモテープで作成したものをリリースしたんですね。隠れた名曲をBlue Valentine出演のRyan Goslingが監督に打診し、世界で知られるようになりました。いい曲です。 次はこれ。Obojeni programのkad se neko nečemo dobrom nadaです。 セルビアのオルタネイティブロックのパイオニア的存在の彼ら。ルームメイトが、ちょっと気分がしょげていたときに、たわいもない話をして、これを教えてくれました。なんか、この歌も歌詞がいいんですよね。 さっそく辞書、グーグルをつかい意味を理解。メロディーもいいし。 次はこれ。Eva BrounのSasvim Običan Danです。pop musicというアルバムに入っている局です。彼らもセルビアのバンドです。今も完璧に歌詞はわからないけど、聞いたときにいいなーってすぐ思いました。間奏にあるピアノもいいし、明るく元気な気分になるから、今の私にぴったり。 スロベニア来る前、全然旧ユーゴの音楽なんて全然興味なかった私。でも少しスロベニア語をかじってみて、いやぁー、セルビア語とクロアチア語の歌詞のなんときれいなことか!皆さんはわかりずらいと思うのですが、スロベニア語とクロアチア語またはセルビア語ってやっぱり似てるんですけど、話し方が。。。 全然違う。ルームメイトをみてると、彼女のクロアチア語のなんとセクシーなことか。ザグレブやボスニアに行くと、だーれもスロベニア語はなしてないんです。当たり前だけど。だからもう私は毎日なんか音楽を聴いているようで、天国です。ちなみにスロベニアでは聞きます。働きに来ている人も多いし、スロベニア人は旧ユーゴの言語わかりスカラね。ビザ更新の手続きにいったオフィスでのあの様子を思い出すと、ユーゴスラビアだったんだなーと実感す

2月になってスロベニアではほぼ毎日マイナスを記録しています。 寒い。セントラルヒーティングがあるといっても、もう部屋の中も寒いです。 実は謎の腰痛に見舞われて、歩くのもひどかった時期があったんです。そしたらルームメイトが、 「こんなに寒いのに裸足で部屋を歩くのはやめたほうがいい、しかも中にタイツとかはいたほうがいいよ。すべて足からくるよ!しかも、こーんなに寒いのにきちんと食事しないなんて絶対いつか倒れるよ」 っていったんです。確かに、クロアチアのお母さんも夏ですら裸足で歩くのはよくないっていってきがした。。。。しかも普段から食事は不規則だったし、んなわけねーじゃんとか思ったんですけど、まず部屋にいるときは靴下とスリッパを履き、外出するときはズボンの下にスパッツをはき、靴下を2枚重ねてはいてみまして、朝ちゃんと食べるようにして、夜もとりあえずバランスよくたべてみたら、あっというまになおったんです! いやぁー、参りました。脚に肉がたくさんあるから、寒さを防げるっておもってたけど、この連日のマイナスの冬にはかないませんでした。そして日々の食事って本当に大事なんですね。 そして、寒さの次に困ったのが肌の乾燥。 私の場合は手と脚、腕の乾燥がやばいです。2日くらいクリームを塗らないと皮がむけてひりひりするくらい乾燥します。日本でもそうだったかな??アルバイトで水仕事をするともう終わり。 本当にヨーロッパでボディーショップとかロコシタンが誕生したわけがしみじみわかりました。 あーーーーーーーーーーーー寒いよー!!!!!!!!!!!!!!

映画!

映画みました。今日はそのいくつかを紹介します。 まず、これです。題名は"Tito i Ja"です。ティとーと私という題名で、旧ユーゴスラビアの話です。 ある男の子がティとー体制化のユーゴスラビアでの生活を通して、自分の大切なものまたは人にきずくという話で、おもしろかった。当時の生活の様子がわかって、それもおもしろいんですよね。映画を作る時は、その時の時代背景も考慮してつくってるんだなーとおもって、勉強になりました。youtubeで全部見れるから、ラッキー。 次はこれ。blue valentineです。これよかったー。いい話。きらきらした恋愛時代を経て結婚した二人。色々障害を乗り越えて結婚してもやがて訪れる、関係の危機とでもいいましょうか。この映画で、男と女、どっちが悪いとかないけど、でもお互い成長し続けないと結婚って難しいなと思わざる終えない映画でした。そして、愛さえあれば、絶対大丈夫とも思える映画だった。そうそう、ここで流れている音楽もすごく良かった。 これがその曲、you and meです。デモテープの音源が30年後に発見されたとかで、この映画の主演俳優がこの曲は映画の二人を象徴する楽曲だと監督に提案し、採用された曲です。いい歌だな~。 次はこれ。スペインの映画、broken embressesです。一度日本でみたけど、クロアチアでの冬休みの時友達と見ました。いろいろな話が交錯し合う愛の物語(笑)ペドロ監督の映画は、ある人物の死をとおして、主人公たちが希望を見出す話が多くて、(all about my mother, volverなど)どうやって主人公たちが新しいスターをを切るのかという過程に感動します。そしてその過程を色づけるサイドストーリがおもしろい。ぜひどうぞ。 次はこれ。ウッディーアレン監督の、midnight in paris。コメディータッチの映画だけど、パリ旅行中の主人公が、過去にタイムスリップするというおかしな経験を通して、自分は何を欲しているのかわかってくるという映画。(だとおもう)すごく笑えて、でもちょっとホロリとくる映画です。 まぁ、色々みましたけど、これらが私の頭に残っている映画です。 時間があったら、毎日みたいよー。でもいい映画を探すのって簡単じゃない・・・。

2012もよろしくお願いします

ご無沙汰です。あけましておめでとうございます。全然更新してませんでした。というのも時間が本当になかったんです。 12月は、スロベニアでVeseli Decemberと呼ばれています。もう、本当に忙しくて、全然ハッピーな12月じゃなかったー。でもクリスマスとお正月はルーム名との故郷である、クロアチアで過ごすということを楽しみに日々過ごしていました。今日は、私の冬休みの様子をご紹介します。 ザグレブにて。クリスマス間じかになると、リュブリャナにもザグレブにも屋台がでます。ホットワイン、毛糸用品、本、ファストフード、コーヒーなどが売られていて、愉快な雰囲気です。 いつもどおり、お父さんが迎えに来てくれて、家に到着。一番奥はクリスマスツリーです。みんなで飾りました。手前の羊はなんと食べれるんです!パン生地で作られたものです。となりは麦。一年の豊作を祈るために、クリスマスになると飾ります。かわいい。 クリスマスイブは、おなじみのバーBamboocaへ。色々な世代が集まってクリスマスをお祝いします。みんながみんなを知っているっていうのがすごくおもしろかったな。 クリスマスイブには肉は食べません。しかし翌日は豪華な昼食がありました。豚肉、サラダ、スープ、フランス風サラダです。肉の横の黄色いものはトルティーヤのようなもので、名前が忘れましたがクロアチアの伝統的な料理だそうです。これがとっても美味しかった。 みんなでおばあちゃんの家に行きました。その時家のリビングのしたにあったのが、これ。わらです。クリスマスはイエス・キリストが馬小屋で生まれた日。そこにわらがしかれてあったということで、飾っているそうです。今はこのようにわらをしく家は珍しくなっているようです。 お父さんと一緒に森に行きました。お父さんは狩が趣味で毎日森へ行っています。春夏秋冬と毎日行きます。春にも連れて行ってもらいましたが、冬の森も見せてくれました。なんともいえない静けさでかなり心が洗われました。野生の鹿も見れて感無量です。そしてうっすらと雪がかかった森は最高にきれいでした。お父さんによれば、夏の森のほうが観察が大変だとか。蚊が山ほどいてしかも暑さが尋常じゃないので大変とのことでした。 みえるかなー。鹿です。お父さんのお友達の所へお邪魔しました。トラクターに乗って、彼が保護しているイノシシと