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6月, 2011の投稿を表示しています

Ustni Izpit/ 大学の口頭試験

6月20日に一応テストが終わりました。まだレポートと論文が残っていますが、非常に山場だったので、パスして安心してます。これで残りの課題に集中できます。 さて、題名のUstno izpitですが、これは口頭試験という意味です。19世紀の南東ヨーロッパの歴史のテストでした。私、恥ずかしながら日本でこれをやったことがありませんでした。なので、テストと聞くと筆記試験のことって思ってて、口頭試験と聞いて超びっくりでした。しかし、友達の話によると、ヨーロッパでは小学生の時から試験は文系理系どちらの科目も筆記と口頭で行われるのが普通だそうです。 もう詰め込むだけ詰め込んで挑んだ本番・・・。 もう全身汗だらけです。私の癖として、どうしても節目がちに応答したり、姿勢がまるまったりして、いかにも自信がない態度で人と話すことがあります。(特に目上の人相手・・)しかし、それはここでは本当にタブー。姿勢をただし、相手の目をみて話し、お辞儀もしないのが大人の振る舞い。 自信なかったけど自身のアルふりをして答えました。 質問は二つ。 タンジマートの目的となぜ成功しなかったか 第二次バルカン戦争はなぜおき、どのような結果を招いたか ほうほう、これはばっちりやったでー。急いで頭の中で筋道立ててぶぁーっと話しました。 で、先生もなるほどなるほど、じゃあこの場合はどうだね?とか、もう少し詳しく話してくれる?とかどんどん突っ込んでくるんです! 筆記試験だとそうはいかないなと。書くだけ書いて点数もらうことができるけど、口答試験だと一対一で私がどれだけ内容をしってるかじっくり確かめられてしまうってきずいたのです! 正直何個か間違ったけど、パスできてよかった。 終わったけど、本当にまだまだと感じました。もうすこし俯瞰的に物事をみて学習する必要があるなと思い知ったのです。 論文発表はこれの何百倍も厳しいものだと思います。 だからもっと準備します。一休みして課題をかたづけるぞー!!!!

スロベニアの暮らし~近所編~

Hola!(スペイン語でハローです。オラ!と元気よく言いましょう!) スーパーの後は家に戻りました。そして少し写真をとりましたので、紹介します! はい。これは私の窓からみたおむかいさんですよー。(爆)壁が緑でかわいいですねー。 こんなに良い天気ですけど、日によってはすぐに雨に変わることも。。 でも今日はこのまま良い天気が続きました! これは近所の雑貨やさんにおいてある花たち(イミテーション)。色どり鮮やかでかわいい! このstari trgとは古い道という意味です。旧市街をちょっとみてみまそー。 Stari Trgの看板のそばにはこの噴水があります!右はスロベニア語で、何か書いていますね!! DAN SE ZA DNEVOM VRSTI  ZA LE TI VRSTIJO SE LETA VODA PA V LOKU VES ČAS  ISKRO Z VODNJAKA CURLJA SPOMNI SE KDOR MIMO GREŠ  KOT VODA ODTEKA ŽIVLJENJE  DOKLER LE ČAS GA V DLANI  HLASTNO ZAJEMAJ IN PIJ! JANEZ MENART 来る日も来る日もやってくる 来る年も来る年もやってくる 水はいつでも噴水から勢いよく うねりながら流れている 水が人生から流れてくるように あなたが通り過ぎる人を覚えて できるだけ手のひらに水を ガバット透くってそして飲め! すみません。もっとスロベニア語勉強しますから、この翻訳で許してください(泣) これはヤネス・メナルトというスロベニアの詩人が書いたものです。でも、外国語で詩を理解するのはとっても難しいけど、その国ならではの表現があって面白いです。 見てください!噴水の近くに色とりどりのいす!実はこれ車のシートを取り外したものなのです!お母さんと子供がわざわざ太陽があたる場所に座って日焼けしてます。結構みんな黒い肌がほしいのか、がんばって日焼けしてるんですよ~。 店の前にステージらしきものが立って、子供が遊んじゃってます。。 天気がいいので、みんなそとでコーヒーのむんですねー。 この白い傘はオープンカフェであります!今の時期、四六時中観光客や地元の人が座ってコーヒーのんだり食事しております。おもしろいのは、 いつ

スロベニアの暮らし~食べ物編~

Boook!(クロアチア語の挨拶です。ボクといってください!日本語のくじゃなくて、kっていうのがポイント・笑) はい、今日一つテストが終わったし、ちょっと仮眠して、さんぽついでにスーパーにいきました! なにげに見てるものでも、実はわが祖国日本とは全然ちがう風景があるなーとしみじみ思ったのです。ってなわけで、今回はスーパーの中をご紹介します。。 でででん。 これはヌテラといいまして、チョコレートクリームです!私も大好き。写真のものは5キロのものです。値段も50€くらい。ってことは1キロ当たり10ユーロです!ちなみに250グラムは2.5€。ちなみに、15グラム80キロカロリーです! はい。これはコーヒーです。バルカフェといいまして、これはTurška kavaといわれるトルコのコーヒーなんです!なにしろ、凄くカフェイン強いらしい。作り方も独特であります。まず、お湯を 沸騰させた後 、こっぷ一杯あたりスプーン山盛2杯いれ茶色い泡がでるまで煮ます。そして粉を下に沈殿させるために少し待ってから、飲みます。日本のようなインスタントのコーヒーもあるけど、もっぱらこのTrška kavaが占める割合がおおいです。どの家庭にもあると思います。ミルクとのむと、おいしいよ。私も常備しております。 みてくださーい。これはもちろんチーズでーす。色々しゅるいあるけど、一つ一つでかいよね(笑)もちろん、日本で売られているタイプのチーズはあるけど、種類がはんぱないっす!ちなみに、私はチーズそのものを買わないです。 はい。これは牛乳のたな。なんと冷蔵庫においてないです。よくみてください。trajno mlekoって書いてあるの分かりますか?これって、長持ちするミルクっていみです。実は、特殊な物質が含まれているのか、これ、3年くらいこのままでもくさらないのです。飲むのこわいですねー。  これは飲むヨーグルトのコーナーだよ!真っ白のもあるけど、ブルーベリー、イチゴ、オレンジ、チェリーの味などがあります!種類がたくさんあって、超うまいっす!  種類がおおいといえば、このぱすた!マカロニもねじれてるのから、普通のもあるし、麺も5ミリから、うどんの平たいやつまでもあります。卵入りまたは無し、あとは、ほうれん草?がはいってるやつもあります。この種類の豊富さの理由は、ソースによってぴったりの麺

バルカンってどこ?

私のブログタイトルである、Almost All the Balkans ;)ときいて、「バルカンって何?」「一体どこのこと?」って思った人が多いと思います。しかし、明確な定義は学術的にも分かれている 地域です。現在では、地理的定義と歴史的定義があります。 地理的に言うと、サヴァ川から南, そしてアドリア海、エーゲ海、黒海に囲まれた地域がバルカンといわれています。よって、スロベニア(南部)、クロアチア、セルビア、ボスニア、マケドニア、ギリシャ,ブルガリア、モンテネグロがバルカンといえます。 しかし、歴史的な定義もあります。その場合は、オスマン帝国統治下にあった国がバルカンだとみなすので、スロベニアは除外され、ルーマニアがバルカン地域とみなされます。 Photo1 この明るい部分が地理的に定義されているバルカンといえます!!! そもろも、バルカンというのはトルコ語で、「樹木におおわれた山」という意味があり、バルカン地域は山がちな地域であるといえるのです。下に代表的な山脈の写真を載せました。位置関係など、上にのせた地図を照らし合わせてみてみてください。 写真はバルカン山脈です。別名スタラ・プラニナ山脈と言います。セルビアとブルガリアの国境からブルガリア側の黒海まで伸びています。なんとおよそ560kmもある山脈です。 Photo2 セルビアとブルガリアの国境にある場所からの眺め 下の写真はブルガリアに位置しているピリン山脈。 Photo3 ラズログ渓谷から見たピリン山脈 ブルガリアの南部からギリシャへ伸びているロドピ山脈。面白い名前ですね。 Photo4 ロドピ山脈 スロベニア、クロアチア、ボスニア、セルビア、アルバニア、にかけて広がっている、大変長い山脈です。 Photo5 ディナルアルプス こちらはピンドゥス山脈。アルバニア南部からギリシャ北部にかけて広がっている山脈です。およそ160kmの長さです。 Photo6 ピンドス山脈 下の写真はシャル山脈。 コソヴォの南部からマケドニア北部そしてアルバニアの北部にかけて広がっています。 Photo7 シャル山脈 とっても綺麗ですよね~。これらの山

ラトコ・ムラディッチの逮捕

2011年5月26日、セルビア北部のラザレヴォという街で、ラトコ・ムラディッチが逮捕された。彼はミロラド・コモディッチという偽名を使い、彼の親戚が所有する家に暮らしていた。現在、彼は二つのジェノサイドに関する罪に問われている。 彼は、Vojska Republike Srpske(VRS)の将軍(General)で、1992年から1995年にかけておこったボスニア紛争の時、ボスニア在住のボスニア人とクロアチア人を追い出し、1995年にはスレブレニッツァの虐殺を主導した。スレブレニッツァの虐殺は第二次世界大戦以来ヨーロッパで最も残酷な殺害とみなされている。およそ8000人のボスニア人、主に男性(少年も含む)がムラディッチの軍隊によってたった10日間で殺されたという事件だ。もちろん、これだけではなく、彼はクロアチアのセルビア国境付近の街や村を襲撃し、罪のない人たちを殺しまくってきたので、非常にバルカン半島では有名な軍人。。。 5月11日に旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ICTY)の検事であるセルジュ・ブラメーツがセルビアを訪れ大統領のボリス・タディッチにムラディッチの逮捕に全力を注ぐようプレッシャーをかけたところ、その15日後に彼は逮捕されたのでした。彼の逮捕まで16年間もかかった。 この逮捕を受けて、多くのヨーロッパのリーダーは、セルビアがEU加盟への第一歩を踏み出し、バルカン諸国間の平和的で友好的な関係を築く第一歩になったっということで、良いニュースだという考えを示しています。 しかし、興味深いのが、ムラディッチはある特定のセルビア人にとっては英雄的存在であるということ。セルビア北部のノヴィ・サドという街でおよそ500人のセルビア人達がプロテストをし、ベオグラードでも同じ様なプロテストがおこり、35人が逮捕されたのです。ムラディッチ逮捕に快く思わない人が未だにもいるということです。ブラメーツは他の戦犯であるゴラン・ハディッチの逮捕にむけても全力をあげるようにセルビアに要求しています。 まぁ、これが今スロベニアやセルビア、クロアチアで報道されてるニュースなわけですが、私の意見として、ムラディッチの逮捕は戦争被害者にとってもセルビアにとっても良いことだったと思います。多くの新聞で報じられているように、セルビアはEU加盟へ前進したと思うし、(でもEU加盟